突然の訃報が飛び込んできました…。偉大な方がまた一人、亡くなられました。
葬儀は密葬であったという事で、本件のニュースが流れるのは遅かったようですね。
亡くなられた時のご年齢は90歳です。2019年1月5日に心不全で亡くなられたという事でした。
その昔、海外旅行が当たり前では無い時代に、外国文化や海外での現地取材の様子が人気を博し、1959年~1990年まで続いた有名なテレビ番組「兼高かおる世界の旅」では、31年間も続く長寿番組となりました。
色々な偉大な賞も受賞されておられ、著名な方であった事もありますが、とても残念でなりません。
現在ではあまり知られていない兼高かおるさんについて、皆さんにも知って頂きたいと思い、この記事を記載させて頂きます。
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プロフィール
名前:兼高かおる(かねたかかおる)
生年月日:1928年2月29日
出身地:兵庫県神戸市
学歴:香蘭女学校→ロサンゼルス市立大学
職業:ジャーナリスト・レポーター、ナレーター・プロデューサー
記録:1958年に世界早回りで73時間9分35秒の新記録樹立、1971年に南極点へ到達
有名なテレビ番組:兼高かおる世界の旅(1959年~1990年)
受賞歴:
1967年:文化庁芸術選奨新人賞
1980年:日本女性放送者懇談会賞
1985年:外務大臣表彰
1990年:菊池寛賞
1991年:文化庁芸術選奨文部大臣賞
1991年:紫綬褒章
なぜ世界を飛び回る事にしたのか
終戦からわずか10年が経過した昭和34年に、兼高かおるさんは31歳という若さで世界各国を飛び回っておりました。
その姿は、当時、海外旅行が一般的では無かった時代でしたので、庶民からしてみれば異次元の世界で活躍する兼高かおるさんはとても眩しかったと言います。
兼高かおるさんは1928年(昭和3年)生まれであり、通われていた学校は英国協会系のミッションスクールでした。そのため、英語の実力も付けたところで終戦を迎えました。
下記が当時の写真です。
父親がインド人であった事もあり、とてもはっきりした顔立ちでとても美人な方だったのですね。
終戦後に、進駐軍のRTO(鉄道司令部)の仕事に関わり、当時から豊かな国であったアメリカを知った事で、1954年(昭和29年)に26歳という若さで渡米しロサンゼルス市立大学へ留学されます。
下記は、1958年に「世界早回り」で新記録を樹立した直後の写真で、コペンハーゲンで貰った民族衣装を身につけている時の写真です。
その後も、東京駐在の英字紙のオフィス等に勤務され、フリーランスのライターとして活動。国際感覚を身に付けたと言います。
渡米した年からわずか5年後の1959年から「兼高かおる世界の旅」がスタートし、一躍、大人気な番組ナレーターとして31年間もの間、ご活躍をされました。
その間に、何と世界150ヶ国を回ったというのだから驚きですね。
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残した名言とは?
兼高かおるさんが、まだ海外の人々の事を知らない世間に対して発した言葉が名言として残っておりました。
まずはそちらをご紹介させて頂きます。
人はみんな同じだなんておっしゃる方がいますが、祖先から住んでいる土地によって、人種、宗教によってそれぞれ違う。
そういう認識を持って接することが大切です。引用元:名言DB
また、その他にも「世界をお茶の間に運ぶのが私の仕事」という言葉も残されており、当時の日本を代表するジャーナリストであったと言えますね。
ジョン・F・ケネディ大統領とも面識がある
何と、兼高かおるさんはあの有名なジョン・F・ケネディ大統領とも面識があったと言います。
それはちょうど、キューバ危機の真っ只中の1962年10月の事でした。
ジョン・F・ケネディ大統領と、その関係者で徹夜のディスカッションをおこなっているところへ、兼高かおるさんは直接会いに行ったそうです。
それも、ホワイトハウスの中に入って、見事な映像をおさめられました。
その当時は、ホワイトハウスのセキュリティはそこまで厳重では無く、むしろ開放的であり「自由に見てOK」というスタンスであったそうです。
今では考えられませんが、その時代にその場にいた、そして見事な非現実的な映像を撮ってきた兼高かおるさんは本当に凄い方であったという事が分かります。
ちなみに、その後の取材では「ジョン・F・ケネディ大統領はアメリカを象徴する良い男。政治家としてだけでは無く一人の男として、育ちがよくて、優しくて、人柄の良さで相手を安心させてくれる」とコメントをされたそうです。
残念ながら、ジョン・F・ケネディ大統領は、そのわずか1年後の1963年11月22日(金)に、ダラス市内をパレード中に銃撃され亡くなられました。
黒柳徹子さんの先輩?
兼高かおるさんは、東京都品川区にある香蘭女学校の卒業生です。
あの黒柳徹子さんも香蘭女学校の卒業生という事で、先輩にあたるようですね。
年齢は6歳差であるため、大学時代の知り合いという訳ではありませんでしたが、それにしても長寿番組を持った著名なお二人が同じ大学であった事には驚きですね。
お二人は2017年2月に「徹子の部屋」で共演されておられます。
淡路島の「旅の資料館」へ
1985年から名誉館長を務められた淡路島(兵庫県)の淡路ワールドパーク(ONOKORO)の「旅の資料館」に、当時、世界各地から持ち帰って来た民芸品類を展示されておられます。
兼高かおるさんのこれまでの栄誉を称え、一度、足を運んでみては如何でしょうか。
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自身の著書
最後に、兼高かおるさんが生前に残された自身の著書をいくつか紹介をさせて頂きます。
わたくしが旅から学んだこと 80過ぎても「世界の旅」は継続中ですのよ!【電子書籍】[ 兼高かおる ]
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わたくしたちの旅のかたち 好奇心が「知恵」と「元気」を与えてくれる [ 兼高かおる ]
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この度は、本当に残念でなりませんが、これまで日本へ本当に沢山の新しい風を取り込んで頂き、本当に感謝しております。ご冥福をお祈り申し上げます。
最後までお読み頂き有難うございました。